のびパパ軽井沢日記:#3谷間の白百合、今は・・・

 

 

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軽井沢生活を始めて8年目、知らずしらずのうちに自然に目が向くようになっている。

子どものころから観念の世界に遊ぶことに長けていた僕は、小動物や鳥、虫などはもちろん、庭に鎮座している樹木も道端に咲く草花も、おおよそ関心の対象になることはなかった。
たとえば、家を飛び出して外に行っても遊び友達がいないと、戻って将棋盤と将棋の駒を使い、架空の水泳大会を実況中継して遊んでいた。
「第一のコース、古橋廣之進くん。第二のコース、前畑秀子くん。・・・」
でたらめである。
大人になってからも性癖は変わらず、絵画や音楽に接しても素直に楽しむのではなく、背後にある「物語」を探してしまう。誰も真似をしてはいけない芸術鑑賞法である。

軽井沢生活を始め、車を駆っては県内の観光地に足を伸ばしていたころ、一度「善光寺」をお参りしたことがある。その折、隣接地にある、まだ改築される前の「長野県信濃美術館」(現「長野県立美術館」)で、とある欧州人画家の展示画を観る機会があった。
南欧の市街地の風景画だったが、その中の一枚に僕はくぎ付けにされたしまった。
石畳の路地に2階建てのアパートが連なっている。その一つの部屋の、左側の窓だけが開いている。が、右側はきっちりしまっている。路地に人影はなく、熱暑の太陽が空気を圧している。おそらく「シエスタ」の時間だ。
だが、なぜ左側の窓だけが開いていて、右側は閉まっているのだろうか。
右側の部屋でシエスタをしているが、左側には誰もいない。右側の部屋も暑いので、左側だけを開けている・・・?
いや、実は殺人事件が起こっていて、右側の部屋には死体がある。犯人は、左側の部屋の窓を開けて逃げ出した・・・?
絵画を楽しむ人にはどうでもいい話だが、僕は気になって仕方がないのだ。
困ったものだ。

軽井沢滞在中は、午前中、約100分かけて9キロメートル弱を歩くのが日課になっている。戻ってから朝風呂に入り、ブランチを楽しむのだ。現役の人たちには申し訳ないほどの至福の時である。
買い求めた「長野県道路地図」の「軽井沢」のページに、歩いた道を鉛筆でなぞっているが、左半分「野鳥の森」から「追分」「分去れの碑」に至る一帯はほぼ塗りつぶされている。8年も歩けばこうなる、ということだろう。
だが、最近はほぼ4ルートに定まってきた。名付けて「追分ルート」「千ヶ滝ルート」「小倉の里ルート」および「ハルニレテラス・ルート」である。

最近は、どのルートに行っても「自然」が目に入る。
鶯などの小鳥は耳で楽しむだけだが、雉や野兎が行く手を横切ることもある。蝶々やトンボの姿も景色になじんでいる。蝉の鳴き声も、やかましいとは感じなくなった。
最近はマリーゴールドの群生が終わって、白い紫陽花が目にまぶしい。「白い紫陽花」と書いたが「アナベル」という名の、同一種ながら別の花とのことだ。
僕の心の中の「紫陽花の人」は、欧米で生活をしたら「アナベル」と呼ばれるのだろうか、などとくだらないことを考えたりしている。

今日「追分ルート」を散歩していて花を見かけ、思わず「谷間の白百合」と呼ばれた人のことを思い出していた。
10年ほど後輩の、仮にS君としておくが、そのS君の奥さんのことである。
僕が最初のロンドン勤務をしていたころ、S君が研修生としてやってきた。海外勤務の利点は、人によっては「苦痛の種」かもしれないが、人間関係が濃密であることだ。S君ともそれなりの時間を過ごし、お互い、人となりをさらけ出す付き合いをした。
そのS君がある時、1年間の研修期間が終わって帰国したら結婚するという。何でも「卒業旅行」でヨーロッパを回っていたとき、女子大生3人組とパリかどこかで遭遇し、一緒に観光したり、食事をしたのだそうだ。帰国後、S君は3人に記念写真を送った。何と書き添えたのかは聞きそびれた。だが、3人のうち返事をくれたのは、一緒にいたとき物静かで、あまり話をした記憶のない女子大生だけだったそうだ。
「そう、落ち着いていて、目立たないけれど、清楚な人だったんですよ。まるで『谷間の白百合』 のような・・・」

あれから30数年が過ぎた。
「谷間の白百合」はいま、どこで何を思い、何をしているのだろうか?