のびパパ軽井沢日記:#10 ノーベル賞作家 川端康成の元別荘を保存しよう・・・

 

 

「軽井沢新聞」のオンライン・ニュースサービス「Karuizawa.web」によると、ノーベル賞作家 川端康成の別荘を保存しようという動きが活発化しているようだ。
 同紙は、8月11日「ノーベル賞作家 川端康成の別荘売却、解体か」、8月24日「軽井沢観光協会と観光ガイドの会、川端康成別荘の保存を町長に要望」、そして8月27日「『川端康成別荘、町の考えは』全員協議会で質問相次ぐ」と連続して報じ、現所有者の理解と協力を得て、別の場所に移転して保存する可能性があることを報じている。

https://www.karuizawa.co.jp/newspaper/news/2021/08/post-204.php
ノーベル文学賞作家 川端康成の別荘売却、解体か|ニュース|軽井沢新聞|軽井沢Web (karuizawa.co.jp)

https://www.karuizawa.co.jp/topics/2021/08/post-983.php
新着情報|軽井沢Web (karuizawa.co.jp)

https://www.karuizawa.co.jp/topics/2021/08/post-984.php
新着情報|軽井沢Web (karuizawa.co.jp)

 人口2万人強の軽井沢には、1万5千軒を超える別荘がある。また、過去10年間の住宅全体の建築確認申請数は年平均435件だが、そのうちの約7割、297件が別荘となっている。別荘総数は、平成23年度の14,807軒からから令和2年度の15,973軒まで1,166軒増加している。(「令和3年度 軽井沢町の統計 12.建設 https://www.town.karuizawa.lg.jp/www/contents/1528425604611/simple/12.kensetsu.pdf  12.kensetsu.pdf (karuizawa.lg.jp)」)。 
  もし、建築確認申請されたものがそのまま建築されたとすると、別荘は10年間で2,970軒増加していることになる。つまり、この10年間に約1800軒が「解体」されていることになるわけだ。年平均、180軒だ。

 確かに、のびパパの「100分散歩」でも、もはや「解体」するしかないのでは、と思われる別荘を結構な数、見かける。
 使われなくなった別荘は、まず駐車スペースの雑草から見てとれる。年に数度しか使用しない別荘でも、5月の連休やお盆休みの前には、業者を入れて庭と共にきれいに掃除されるのだが、それが行われなくなっているからだ。
 問題はこれからだ。
 たとえ庭や駐車スペースがきれいに掃除されていても、屋根に枯れ葉が大量に残っている別荘は「解体」予備軍だ。何年かすると屋根に草が生え、木が生えてくる。1メートル以上も背丈のある木が数本生えていたら、これはもう「解体」するしかない。そういう別荘が、あちらこちらに散在している。

 散歩しているだけののびパパに観察できるのは、前述したような「外面」だけだが、老朽化した別荘は「内部」にも多くの問題を抱えていると思われる。メンテナンスを続けても、湿度の高い軽井沢ゆえに建物の寿命に勝てないケースが多々あることは想像に難くない。
 たとえば「Karuizawa.web」が報じている「作家 北杜夫さんの別荘 保存のため移転を検討中」の中に、次のような記述がある。

〈現在の所有者は北さんから購入し、老朽化による修繕を重ねながら十数年利用してきたが、ついに来春、建て替えることになった〉
〈北さんが購入した時も既に建物の傷みが進んでおり、2階へは煩雑に上がらず、客室として使用する状態でした。その頃から修繕を繰り返してきましたが、近年は損傷が激しく、維持に多大な修繕費用がかかることがわかり、取り壊しの判断に至ったようです〉
(2021年8月10日、作家 北杜夫さんの別荘 保存のため移築を検討中|ニュース|軽井沢新聞|軽井沢Web (karuizawa.co.jp) https://www.karuizawa.co.jp/newspaper/news/2021/08/post-203.php

 何代か前の縁者が購入した別荘を、相続した人が使うこともなく、また将来使う予定もない場合、売りに出すのは普通のことだろう。また、元の所有者と縁もゆかりもない人がその物件を購入するのは、住める程度に手を入れるか改築するか、あるいは解体して新たに自らが気に入ったデザインの別荘を建てるためだろう。
 これらのことに非を唱える権利は誰にもない。
 もし、その別荘を維持・保存することに価値があると主張する人がいるならば、その人が維持・保存の費用を負担するのが筋というものだ。

 いや、今回の川端康成別荘問題にみられるように、有名人の元別荘の持つ価値、すなわち文化的価値は社会全体が享受するものだ、という主張が通るのであれば、維持・保存は「公的費用」で賄うことになる。「公的費用」とは、端的にいえば税金だ。皆さんが国、あるいは市町村に支払っている税金を、どのように使うのが国民、住民全体のためになるのか、という観点から、予算が作成され、支出されていくものなのだが、その一部を投入しよう、ということになるわけだ。
 文化的価値は目に見えない、あるいはお金に換算できないものが多いが、具体額の算出は難しいものの間違いなく経済的価値を惹き起すものもある。
今回、観光協会や観光ガイド協会が「保存を町長に要望」したのは、ノーベル賞作家「川端康成の別荘」が観光客を呼び寄せる機能を持ち、ひいては軽井沢観光業にプラスの経済価値をもたらすと考えているからだろう。
 たとえば有島武郎の元別荘「浄月庵」は「軽井沢高原文庫」内に移転され、向かい「タリアセン」隣地に案内板、カフェ「一房の葡萄」となった記念館があり、観光客をひきつけている。

 数十年前「文学青年」だったのびパパだが、川端康成の作品を読んだ記憶はない。
「国境の長いトンネルを抜けるとそこは雪国だった」の書き出しで知られる『雪国』(1937年)も、山口百恵が「踊り子」役で何度目かの映画化がなされた『伊豆の踊り子』(1926年)も、作品そのものを読んだ記憶はまったくない。いや、興味もなかった。
 ノーベル文学賞受賞作家とはいえ、川端康成が現代の人々の関心を呼ぶものかどうか疑問だが、いずれにせよ、今後の展開が注目される。

 翻って考えれば、社会全体が利益を享受するものだから要する費用はすべて税金で賄う、というのは、今回の「コロナ」への対応そのものだ。「コロナ」対策に費やされている税金の額は、すでに膨大なものとなっている。まだまだ終息への道は見えず、さらにどれほどの費用を必要とするのか、予測できない。それでなくても国家の財政赤字は巨額な金額になっており、どうやって返済するのか、返済できるのか、皆目見当がつかないのが実情だ。
日本の累積赤字はGDPの約2倍、先進国の中でもとびぬけた多い水準となっている。

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出所:財務省「これからの日本のために 財政を考える」

 財政素人ののびパパに考えられる方策は「ハイパーインフレ」による「実質帳消し」でしかない。そうなったら、毎日の生活はどうなるんだろうか。
近年のベネズエラ、戦後の日本が実例か。

 あッ、だから軽井沢の別荘が売れているのか!?