のびパパ軽井沢日記:#11 軽井沢の9月は炬燵がいるのか?

 

 

 秋雨前線が停滞しているためか、連日雨まじりの暗い日が続いている。

 昨日(9月3日)雨の合間を縫って散歩に出たが、やはり小雨に濡れてしまった。例年、たくさんの栗の実が落ちているところでは、まだ実を結んでいない小粒のものが落ちていた。
 最低気温は15~16℃で、1週間前とさほど変わらない。だが、最高気温は10℃ほど下がって17~18℃しかないのだ。

 ふと、学生時代に読んだ立原道造の日記を思い出した。

 火災で焼け出される前だったと思うが、追分の「油屋」で夏を過ごしていた立原は、ある年の9月に入ったばかりの日、急激に冷え込んだので炬燵を出してもらって暖を取った、と書き残していたのだ。
 9月に炬燵?
 想像すらできず、不思議なまま数十年が過ぎた。

 初めて軽井沢で夏を過ごしたのは、43年間のサラリーマン生活を卒業した2014年のことだった。
 千ヶ滝西区の小さなログハウスを三か月間レンタルし、処女作『石油の「埋蔵量」は誰が決めるのか?』(文春新書、2014年9月)の最終仕上げ作業を行った。
 長いあいだ未使用のログハウスだったので、設営が一苦労だった。大量のカマドウマ様の出現に、ワイフは入居の日に「帰る」と言い出し、なだめるのに苦労した。また、佐久の「ヤマダ電機」や「ニトリ」で電子レンジや電気釜、シーツや夏布団などの必需品を用意し「まるで新婚さんだね」とワイフと顔を見合わせもした。

 初めて友人との夕食に出た夜には、戻ったら周囲に灯りは皆無、まさに闇の中で、ログハウスの入り口にたどり着くのに苦労した。爾来、戻るのが夜になる日は、ログハウスの電灯を煌々と点けたままにして出かける習慣が身についた。
 優雅な別荘生活とはほど遠い毎日だったが、親族や友人知人が何組か遊びに来てくれ、今日に続く、楽しい夏の軽井沢生活を楽しんでいた。

 そして9月に入った。
 秋が急激にやってきた。寒く感じるようになった。ワイフは「帰ろう」という。のびパパは立原の日記を思い出し「ほんとうに炬燵がいるのかどうか、様子を見たい」と頑張った。が、頑張れなかった。なぜなら、生活の前提が夏仕様だったからだ。
 夏布団は、客用のものを二枚重ねにしても不十分だった。寒かった。衣類も、セーターなど持ってきていない。暖房器具など皆無だ。来年は借りられないかもしれないログハウスに、残していく家具の類をさらに増やすのもなぁ。

 その時、のびパパは思い知った。
 重要なのは「絶対温度」ではない、「温度差」だ、と。
 急激な気温の下落に、身体の調整機能が付いて行かないのだ。だから「外」から防御すべく、冬物の衣類や暖房が必要なのだ。さもなければ「温度差」がもたらす「寒さ」に耐えられない。
かくて、数十年ぶりの「疑問」は氷解した。
 2014年9月中旬、レンタル期間を2週間以上も残したまま、初めての軽井沢生活を終えて暖かい東京に戻ったのだった。

 思えば、初の家族帯同海外勤務をロンドンで過ごしていたとき、11月に入ると子どもたちは暗いうちに登校し、暗くなってから帰宅していた。
 ロンドンの緯度は北緯51度30分、東京は北緯35度41分(都庁)、札幌でも北緯43度3分(市役所)でしかない。ロンドンは、日本と比べると圧倒的に北に位置しているのだ。地図でみると、ロンドンと同じ北緯51度30分はサハリン島の中部にあたる。
 ゆえにロンドンと東京の夏冬の日の出、日の入りの時間は、大幅に違うことになる。

 ロンドンで花火というと、ガイ・フォークスの日(11月5日)だ。「火薬陰謀事件の日」とも呼ばれるこの日は、1605年11月5日、ガイ・フォークスを含むカトリック教徒の一味が、国家元首をイギリス国教徒からカトリック教徒に交代させようと暗殺を試みたが失敗し、時のジェームス1世が生き延びたことを祝って始まった、と言われている。
 日本では夏の風物詩である花火も、ここロンドンでは毎年、すでに寒くなった秋の暗い夜に、日本と比べると複雑さも芸術性も皆無の花火を、ドーン、ドーンと何発か打ち上げられるだけなのだ。

 最初は不思議だった。なぜ、夏ではなく秋なのか、と。
 だが、2年目の夏には了解した。
緯度がだいぶ北にあるロンドンの夏はいつまでも明るい。退社後にゴルフに行くことも可能だ。のびパパも実際、同僚と回ったことがある。一度だけ、だが。
 6月、7月は夜8時になっても明るいため、友人家族を招いて庭でバーベキューパーティを催すのが恒例だった。
 だから、夏に花火を打ち上げても、明るいので見えない。人々は楽しむことができない。できるとすれば、夜中にやるしかない。それも、ね。

 人々は、住むところにしたがい生活ぶりを変える。どうやったら楽しめるか、工夫しているのだ。
 ロンドンでは、秋が深まってくると「クリスマスセール」が始まる。町は、クリスマスを祝うイルミネーションに包まれる。コンサートシーズンも始まる。
 人々は、暗い毎日を明るく過ごしている。

 軽井沢の冬は寒くて暗くて、年寄りにはつらいのよ、と在住歴数十年の御大がツイッターで洩らしておられた。
 寒がりののびパパは、11月初旬には軽井沢生活を中断して東京に戻るが、移住組あるいはそもそもの地元の人々は、どうやって暗さ・寒さを楽しみに変えて乗り切っているのだろうか?