のびパパ軽井沢日記:#2生まれ変わったら、もう一度

 

 

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旅の醍醐味は「日常」からの離脱だろう。

大昔のことだが、仲人をお願いした高校時代の恩師から「Eがどうしているか、知っているか?」と聞かれたことがある。一浪して東大に入学したものの、インド旅行にでかけたまま音沙汰がないのだそうだ。
あの時代、『何でも見てやろう』の著者・小田実のように海外貧乏旅行に出かける若者が多かった。旅の途中で、たとえばインドで現地の雰囲気に染まり、働くことに「無意味」さを感じ、沈没してしまう者もよくいた。Eもその一人だった。
彼らは「日常」から離脱した旅の途中で、新たな「日常」に捉われてしまったのだろう。

現代日本の旅は、依然として「日常」からの離脱にこそ意味がある。
特に家事を担当している女性陣にとっては、「3S」から解放されることこそが至福の喜びではないだろうか。
「3S」とは「炊事」「洗濯」「掃除」のことだ。
ホテルや旅館に宿泊することで、これらすべての責任を放棄できる。

では「別荘」暮らしはどうか?
たっぷり余裕資金があれば、同じように「放棄」は可能だ。だが、家計を預かる家事担当としては「全面放棄」は心が痛む。そこで、せめて「炊事」だけは、となる。「外食」や「出来合い料理」に活躍してもらうのだ。

軽井沢には「スーパー ツルヤ」がある。
2014年夏、初めてログハウスを借りて3か月を過ごしたとき、まずワインとチーズの豊富なラインアップに感動した。
2015年夏からは、ひょんなことからリゾートマンションの一室を入手し、毎年寒くなるまで過ごしている。「スーパー ツルヤ」は「聖地」となり、冷凍食品のみならず、いわゆる「お惣菜」の潤沢さに驚愕し、野菜・果物・魚・肉、あらゆる食材の質の良さに感激している。

実は、軽井沢生活を始めるまでの数年間、毎年のようにバンコクで「夏休み」を過ごしていた。
バンコクは、43年間のサラリーマン生活のうち21年間を外地で過ごした僕にとって、最後の海外勤務地だった。
ご承知の方も多いだろうが、8月は、東京よりバンコクの方が「涼しい」のだ。
だが僕にとって「旅」の醍醐味である「日常」からの離脱は、良くもあり、悪しくもあるものだった。

「顧問」になって時間に余裕ができてからは、2週間ほどの夏休みが取れた。
バンコクのキッチン付きホテルの一室に滞在し、夏休みを堪能できた。
だが、1週間が過ぎてくると「外食」「出来合い料理」に飽きがくる。電子レンジを使って温めるだけでなく、自分で作りたくなる。
デパートの食料品売り場を歩いていて「黄ニラ」が安価で売られているのを見つけたときは心が躍った。これをホタテと塩炒めにしたら・・! すでによだれが出ていた。
黄ニラをカゴに放り入れ、魚売り場へ足を進めた。ホタテを見つけ「シメシメ」とほくそ笑んだ。が、カゴに入れる前に、思いついた。待てよ、塩がないな。いや、調味料の類が一切ない。
キッチン付きホテルには、鍋・釜の類は揃っている。グラスや皿、カトラリーもある。冷蔵庫も電子レンジも湯沸かしポットもある。だが、当然のことだが、調味料はいっさいない。
これでは料理ができない。
調味料を一式買いそろえて、余ったら全部置いていく? いや、それも何だかなぁ。
かくて、黄ニラとホタテの塩炒めは「幻」と化した。

2015年から毎年、ほぼ半年を過ごしている軽井沢のリゾートマンションは、きわめて面白い作りだ。
120平米ほどの3LDKにベランダが付いているのだが、風呂場がだだっ広く、キッチンが狭い。
風呂場の広さは、息子一家が親子4人一緒に入り、遊ばせながら汗が流せるほど、と言ったらご想像いただけるだろうか。
キッチンは、冷蔵庫、食料品を保存する棚の上に電子レンジ・トースターを設置すると、シェフ一人が活躍できるほどの広さしかない。
これは、通常「炊事」を担当する女性が「別荘」では「温めはするが料理しないぞ」との前提で設計されているからではないだろうか。

軽井沢での「炊事」は、僕の担当だ。
かつては、冷蔵を開けて食材を確認し、3種類ほどの料理を考え出し、作ることを得意としていた。最近は「ツルヤ」で「本日のおすすめ」を使ってメニューを考えることが多くなった。
でも「芸は身を助く」とはよく言ったものだ(違うか!)。
あるパーティの場でワイフは「生まれ変わったら、もう一度結婚したいと思いますか?」と聞かれ、即座に「イエス」と応えていた。
「だって、毎日三度三度の食事を作ってくれる人はそういないから」